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謎は謎のままに
― 「三沢厚彦 アニマルハウス 謎の館」における美術館=人体

ヴァンジ彫刻庭園美術館学芸員 / 森啓輔


森啓輔(もり・けいすけ)
1978年三重県生まれ。武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻修了。ヴァンジ彫刻庭園美術館学芸員。
専門は日本近現代美術、美術批評。主な展覧会に「イケムラレイコ PIOON」(ヴァンジ彫刻庭園美術館、静岡、2014年)、「菅木志雄」(同、2014–2015年)、「クリスティアーネ・レーア 宙をつつむ」(同、2015年)、「生きとし生けるもの」(同、2016年)、「日高理恵子 空と樹と」(同、2017年)、「須田悦弘 ミテクレマチス」(同、2018年)など。
著書に『Jiro Takamatsu Critical Archive』(共著[vol.4]、ユミコチバアソシエイツ、2012年)。

1. 閉ざされた「謎」
 昨秋、渋谷の閑静な住宅街の一角にある渋谷区立松濤美術館(以下、松濤美術館)で、「三沢厚彦 アニマルハウス 謎の館」展(以下、「アニマルハウス」展)が催された。キュレーターの三沢厚彦が、舟越桂、小林正人、杉戸洋、浅田政志に参加を呼びかけて行なわれた本展の会期は44日間であり、美術館で開催される展覧会としては、それほど長くはないものだった。
しかし、会期の短さとは対照的に、参加作家による公開制作やトーク、ワークショップなどのイベントが会期中には数多く実施された。筆者の手元にある展覧会カタログで確認できるだけでも、公開制作でのオカピの彫像や、縦240cm、横360cmにおよぶ絵画作品《カカオの森》、さらにそれぞれの作家がモデルとなった首像などの制作と3回にわたるトークがあり、5名の作家の計200点を超える作品数とともに、イベントそれぞれの内容の濃さに改めて驚かされるばかりだ。

 おそらく、作家やごく近い関係者を除けば、「アニマルハウス」展の全貌を知ることができるのは、このカタログだけだろう。いや、作品がイベントの過程で次々と生み出されただけでなく、展示作品は作家たちの手によって、会期中に移動を繰り返し、展示プランもまた変化していったことを思い起こすならば、カタログに収められた作品が整然と並ぶ会場の展示風景さえも、展覧会のある一部を切り取ったものでしかありえず、全体を知ると述べるには適切でないかもしれない。

この事実から「アニマルハウス」展は、ある問いを私たちに突きつけている。三沢は作家たちとともに、本展を通じて私たちに何を見せようと、あるいは何を伝えようとしたのか。作家と作品が止まることを知らず、動き続けた展覧会に対して、鑑賞者がどれほど没入しようとも、その断片にしか触れることができない経験とは、はたして何を意味していたのだろうか。展覧会のタイトルに付された「謎の館」は、終了した今なお、私たちにそのような謎を問いかけている点において、実に示唆に富んでいる。

 とはいえ、動き続ける展覧会を記録する意図ゆえに、カタログの内容は多岐にわたり、充実したものだ。例えば私たちは、開催から約8ヶ月前に、作家同士での会場の下見があったことをはじめ多くの事実を、このカタログから知ることができる。読者は、ページをめくるたびにさまざまな作品と出合い、作家たちによるイベントの数々に立会うような錯覚を覚えることだろう。筆者もまた同じような興奮を味わいつつ、しかし、それ以上に鮮明に記憶に残ったページがある。それは、カタログの終わりに近い後半部に収められており、メインビジュアルでもある作家全員の集合写真が撮影された美術館の入口で、三沢がこちらに背を向けて撮影された1枚のカットだ。建物の内部に戻っていくような、去りゆく三沢の後ろ姿を目にした時、自身が実際に美術館に足を運び、理解したと思い込んでいたこと、そして本書を通して新たに知ることができたと思ったことが、途端に不確実なもののように感じられ、いいようのない不安を覚えた。それは、開け放たれていた建物の入口が今一度固く閉ざすように、大切なはずの何かが館の中へ向かう三沢の体とともに隠され、永遠に遠ざかってしまったような切実な感覚である。

2. 美術館=人体
 三沢は樟で動物を彫る彫刻家として知られ、2000年より始められた動物彫刻としての「ANIMALS」シリーズと同名の個展を、西村画廊や全国各地の美術館で行なってきた。「アニマルハウス」展もまた、松濤美術館が三沢の「ANIMALS」展の一巡回先として企画を立ち上げた経緯があり、当初はその延長線上に位置づけられていたという。しかし、展覧会の構想を練る過程で「アニマルハウス」とタイトルが変更された本展では、ハリウッドのコメディ映画「アニマル・ハウス」(監督:ジョン・ランディス/1978年公開)との関係が少なからずほのめかされており、おそらく1つの建物(ハウス)の中で複数の作家たちが集まり、予期せぬハプニングも含めた出来事が次々起こることが、目論まれていたのだ。だからこそ、そのような会期中の物語が展覧会に影響を与え、変化し続けた「アニマルハウス」展は、これまでの「ANIMALS」とは違った角度から捉えられるべきだろう。

 この2つの展覧会の違いは、三沢が選定した作家たちによるグループ展という形式に留まらない。何より注目すべきは、三沢が会期終了間際になって、初めて4名に明かした展覧会のフレームである。つまり、舟越は「背骨」、小林は「精神」、杉戸は「神経組織」、浅田は「顔」と、それぞれが負う役割を企画段階において三沢は構想し、展覧会という1つの人体を形作ろうとした事実だ。この美術館=人体というフレームは、ともすれば奇異なコンセプトと受け止められるかもしれない。
しかし、人体を建築や図式的な幾何形態との相関から捉える視点は、黄金比やウィトルウィウス的人体を例に挙げるまでもなく、脈々と続いてきた美術の歴史においては、決して特別なことではない(註1)
そしてこの美術館=人体という構想が、美術館の建物の中に三沢が足を踏み入れた経験に基づく身体感覚だったことは、本展と「ANIMALS」の関係を考える上で、もっとも重要な契機だったに違いない。

 松濤美術館は、1981年に開館した区立の美術館であり、設計者は建築家の白井晟一だ。「紅雲石」と白井本人が名付けた花崗岩が外壁を覆うこの建造物は、堅牢な印象を与える外観に対して、内部の展示室が多数の曲面となるよう設計された。また、革張りのソファやランプが配された2階の部屋の壁面にあるヴェネツィアンベルベッドの布地や、階段壁面の仕上げなどの効果も相まって、建物の内部空間全体が有機的であり、かつ触覚的な性質を有している。
さらに、中央部が楕円状に吹き抜けとされている構造も見逃してはならないだろう。吹き抜けの中央部地上階にはブリッジが架けられ、噴水が地下階に配されている。この噴水から流れ出る水は、内から外へのその流動性によって、あるいは建物の中心に向かって上方にのぞむ空の景色によって、建物の内部で展覧会という虚構の物語に浸っていたはずの私たちに、外界の存在を痛烈に呼び覚まそうとする。他の白井の建造物においても指摘されるこれら「胎内感覚」ともいえる性質こそが、三沢にとって本展を予兆する特別な出来事であった。

 繰り返すならば、「アニマルハウス」展は通常であれば会期初日に完成をみるはずの展覧会を、終了まで固定させようとはしなかった。私たちが会場を見るだけでは、またカタログを読むだけでは、そこに容易に近づきえない「謎」であり続けようとすることは、この展覧会の設計に起因する。会期中に公開で行なわれたイベントの数々だけでなく、物理的な可動性が徹底され、鑑賞者の誰もいない閉館後にさえ移動が行なわれた作品たちとは、まるでそれぞれが固有の意志を持って徘徊する生命だ。終わることのない展覧会。それは、私たちが知るものとは明らかに性質を異にしている。

 この異質さについて、三沢が人体との連関から、展覧会を構築していったことをもう一度思い返してみたい。美術館で三沢が垣間見た噴水から溢れ続ける水のように、私たちの生命活動は常に生の途上にあるといえ、死へと転化するまで、いや個体の死においてさえ、その生成は変容し続けていく。つまり、本展は器官や組織としての役割を各作家に担わせることで、人体の構成要素を模したのみならず、展覧会それ自体に、白井の建造物と私たちの生を重ね合わせ、生成変化を構造化しようとしたといえるだろう。フレームを設計した頭脳としての三沢、会期中に激しく動き続ける展覧会に対し、揺らがない骨格となった舟越、その行動と発言が全体に影響を与え続けた小林、メインビジュアルを担当し、最大限のインパクトを本展に生み出すことに寄与した浅田、そして会場の隅々まで、きめ細やかに神経を張り巡らすことで、複雑なグラデーションをこの展覧会にもたらした杉戸らによって、展覧会=人体に生が吹き込まれようとしていたのだ(註2)
3. 7本脚のオカピ
 公開制作で作られたオカピは、体表を覆う模様の複雑さから、さまざまな生物が組合わされたような不思議な印象を与える動物である。何名もの作家の手を介し、複数の素材で制作されたこのオカピは不思議なことに、本来であれば4本の脚で体躯を支えることができるにもかかわらず、制作の過程で前脚と後ろ足に木材が加えられ、計7本の脚で立つ姿で最終日直前に完成とされた。加工が最小限に留められ、付け足された太い木材は、ともすれば余分で、柔らかな稜線の体躯に不釣り合いな外部として捉えられかねない。例えばそこに、未来派の画家たちが描いたように、複数の脚が躍動感を与えるがゆえに、このオカピにも展覧会で意図された絶え間ない生の動きを感じさせもするのだが、この加えられた脚こそまた一つの謎であり、本展を象徴しているように思われてならない。

 そもそもオカピの素材とされた木材は、舟越がかつて自身の作品に使用を予定されていたものが、今回の公開制作にあたり用意されたのだという。オカピを支える脚について、この逸話から連想されるのは、舟越が2006年から制作を開始した彫刻作品のスフィンクスだ。古代の神話に登場する空想上の生物であるスフィンクスもまた、複数の動物が組み合わされているのであり、オカピと接点を持つ。そして、舟越の《森に浮くスフィンクス》では、重量感のあるスフィンクスの半身像に木枝が四方から添えられることで、不思議な存在感を醸し出していた。

重力の解放が目論まれたような、中空においてその存在が露になる彫刻について、かつて塩田純一は、浮遊のイメージを舟越の作品に通底する「祈り」と理解していたが(註3)、本展でもオカピの脚が7本となり付与された浮遊のイメージは、動的な本展と響き合い、壁面や床に留まることよりもそれらの場所から解き放たれようとする変容を帯びていたといえる。

 展覧会が白井の建造物と密接に関係付けられ、まさしく一つの人体となって動き続けていた「アニマルハウス」展の生命活動は、そのフレームが会期終了を間近に控えたタイミングで作家たちに明かされたことで、逆説的にそれぞれの役割が固有の作家に限られることなく、いわば器官が全身に遍在するような特殊な状態として、その緊密な連動を可能としたのではないだろうか。この生命の維持・・とは、作家同士の対話や協同の制作過程で生じる不測の出来事に対して、大胆な発想と試みが解決に向けてなされることで、次々と新たな局面を切り開いていった事態を意味している。オカピの脚の接ぎ木は、そのような制作の局面で、突発的に生じた数ある出来事の中の一つだったかもしれない。しかし、これまで経験したことのない新たな出来事が、私たちの生をまったく別のものへと時に変容させるように、作家たちの創造行為がもたらした刷新された生・・・・・・の痕跡であることを、オカピに加えられた脚もまた如実に示している。
4. 生きられた場
 トークイベントで小林は、本展の作品たちを「彫刻と絵画とその中間」と述べていた(註4)。それは、単に文字どおりに、あるいは曲面を中心とする展示室での床と壁面という場に対してのみ、向けられた発言ではないだろう。おそらく、この小林の発言が垣間見せる「アニマルハウス」展で目指されていたものとは、彫刻と絵画という制度や、床と壁面といった外在する諸条件に対する乗り越えであったはずだ。さらに、会場には制作場所としての作家のアトリエが複数仮設され、またソファやランプが置かれることで生活空間が模倣されていたことからも、制度や場の解放と変容によって、作家や私たちが日々送る生と芸術の生とが、分かちがたく結ばれようとしていたのだ。5名の実践に賭けられていたのは、変化を伴いながら、芸術を絶え間なく生成し続けることであり、作品が媒介となってもたらされようとしていたのは、私たちの生が芸術と緊密に繋がり合う空間であったのだ。私たちを解き放ち、精神へと働きかけるこの豊穣な空間の現れは、堅牢な外観に対して柔和な内観を持つ白井建築と何より響き合う。白井の特異な建築を、「晟一好み」と喩えていた磯崎新が認めていたのもまた、白井がケルン大聖堂の内部空間で体験した浮遊感に基づく精神性であったことはその証左といえる(註5)

 本展が、三沢の「ANIMALS」展と関連を持ちながら、一方で異なるものとして論じることで浮き彫りにされるのは、シリーズ名であり、かつ個展としての「ANIMALS」もまた、ただ動物の類型的なバリエーションによってのみ成立することではないことだ。一体一体が膨大な時間をかけ、作家の手で彫り出される動物たちとは、シリーズが名付けられたその時から「アニマ」、つまりの所在こそが問題とされてきたはずだ。本展での有機的な性質のように、動物たちそれぞれが一つの断片であることで形作ろうとしてきたのは、空間が全体性を獲得した展覧会としての「ANIMALS」である。抽象化された愛らしい姿に、つい目を奪われがちな動物彫刻たちは、それぞれが固有のフォルムに留まることなく、作品同士が互いに干渉し合い、振動となって空間へ作用していくことで、全体的な場を生み出すことこそが試みられてきた。本論に則して述べるならば、それはまさしく私たちと作品が共鳴し合う生きられた場・・・・・・だ。

 最後に、本稿で問うてきた「謎の館」における謎は、やはりその門戸を固く閉ざし、謎のままであるのだろうか。確かに、「アニマルハウス」展の作家たちが絶えざる創造行為を賭したあの場所、あの瞬間においてのみ、私たちと作品、そして展覧会の生の片鱗がわずかながら触れ合うのであり、言葉で語り直すことが不可能な生の混淆に満ちていた場は、会場で私たちが作品たちに出会ったあの瞬間以降、失われてしまっている。しかし、会期の終了という時間の区切りが、そのまま死の意味へと直結するとは限らないだろう。なぜなら、三沢が白井の建築に見出したのは、内部から外部へと絶えず噴出する水の循環そのものであり、上空に向かって切り開かれるように突き抜けた楕円状の空と同等の意味において、「アニマルハウス」展もまた美術館=人体の循環として開かれ続けているのだ。展覧会カタログに収められたあの鮮烈な1シーンに暗示されていたのは、三沢が建造物を閉ざそうとする身振りによって、謎は謎のままに開き続けようとする態度である。永久に終わることのない生成変化をこそ本質的に備える本展に、「終わり」という言葉はふさわしくない。

【 註 】

註1 三沢も作品を出品した「ET IN ARCADIA EGO 墓は語るか―彫刻と呼ばれる、隠された場所」展(会期:2013年5月20日—8月10日・会場:武蔵野美術大学)では、コンセプト展示企画に携わった岡乾二郎が、展覧会カタログの文中で白井晟一の設計したノアビルディングと、建築家ジャン・ジャック・ルクーのデッサンとの人体的な類似点を指摘しており、白井の建築と密接な関係を持つ本展の構想との連関を思わせる。
岡乾二郎「墓は語るか」『ET IN ARCADIA EGO 墓は語るか―彫刻と呼ばれる、隠された場所』武蔵野美術大学美術館・図書館、2013年、pp.8−39。

註2 杉戸の「神経組織」としての役割について、小林は「そこに、例えば、その赤い大きな作品をどういうふうに置こうか、赤をどこに置いたらよいか、普通そういうことをやるんだよね。やっていて、何となくしっくりこない、うまくいかない。そのときに、エンジェル(杉戸)が、向こうにあった青いでっかいものを動かすんだよ。でっかいものをグッと上げて、ひっくり返す。それによって赤いのがいきるようになる。」(括弧内、引用者)と語る。また本稿で後に触れる白井の建築と本展の作品との関連について小林は、続けて「絵と彫刻ということで言うと、彫刻を置く、そうすると通常、絵は壁のほうに並べたり、掛けたりということになるわけだけど、白井晟一の建築は真っすぐなところがほとんどありません。だからエンジェル(杉戸)と話していたのは、絵を壁に立てかけたり、壁に掛けたりはあまりしたくないねと。そこで始まったかな、彫刻との交わりが。」(括弧内、引用者)とトークイベントで言及している。なおこの小林の指摘は、作家が共通して持つ「均衡」に対する造形感覚に由来するかもしれない。舟越はかつて、この感覚について以下のように語ったことがある。「自分が作っている物に、今、なぜそれが必要なのかを考えて吟味して対処しないと、ヘタをすると一箇所直したことで他の部分も、また、その直した部分とのつりあいのためにも、ここもそこもというようになっていき、全体が誰かのと同じ考え方の同じ形式のものになっていってしまう。」(舟越桂「立って歩くブタ」『言葉の降る森』角川書店、1998年、p.34)。なお、小林の発言箇所はいずれも以下より引用。三沢厚彦・舟越桂・小林正人・浅田政志(進行=平泉千枝)「作家集合トーク  悒▲縫泪襯魯Ε后‘罎隆曄拊太犬瞭罅廖愡安厚彦 アニマルハウス 謎の館』求龍堂、2017年、p.106。

註3 塩田純一「舟越桂 スフィンクスによる人間の探求」『舟越桂 夏の邸宅 アール・デコ空間と彫刻、ドローイング、版画』財団法人 東京都歴史文化財団 東京都庭園美術館、2008年、pp.12−24。

註4 三沢厚彦・舟越桂・小林正人・浅田政志(進行=平泉千枝)「作家集合トーク  悒▲縫泪襯魯Ε后‘罎隆曄拊太犬瞭罅廖愡安厚彦 アニマルハウス 謎の館』求龍堂、2017年、p.106。

註5 磯崎新「フラッシュバックする白井晟一」『白井晟一 精神と空間』青幻舎、2010年、p.23。また白井は磯崎との対談の中で、ケルン大聖堂での体験を「強烈」、「圧倒的」という言葉で語り、忘れることができないことに言及している(白井晟一(聞き手=磯崎新)「普遍のアニマ」『白井晟一、建築を語る 対談と座談』中央公論新社、2011年、p.200)。さらに本文中では触れていないが、磯崎が述べた「晟一好み」とは、「相互にほとんど無関係なさまざまなディテールとシーンをとりだす彼独自の手法」を意味しており、異質な断片が連続性や一貫性を備えることない分裂した状態で集合しているという磯崎の指摘は、三沢による本展のフレームを考える上で興味深い。 磯崎新「破砕した断片をつなぐ眼」『SD』1月号、1976年、pp.77−82。なお、引用箇所はp.78。

※本稿に掲載されている写真は、No.1、2、7、8、9以外、『三沢厚彦 アニマルハウス 謎の館』より転載いたしました。
何が起こるかわからない前代未聞の展覧会、51日間の軌跡。
展覧会「三沢厚彦 アニマルハウス 謎の館」公式カタログ
『 三沢厚彦 アニマルハウス 謎の館 』




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