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Spirits 求龍堂のスピリット

求龍堂は1923年(大正12年)に現在の社長の足立欣也の祖父・石原龍一(本名:足立隆一)が絵画の売買と美術書籍の出版を目的に東京都・神田に創業いたしました。
美術書の伝統を担う出版社として、優れた出版技術の粋を尽くした企業活動により「美術書の求龍堂」と認めていただくまでになりました。
今日まで、世界中の芸術を美しき本に編んで出版してまいりました。

Name 求龍堂の名前

社名の名付け親は画家の梅原龍三郎。現在のロゴは染色家の芹沢げ陝
求龍(きゅうりゅう)は仏語の「CURIEUX」からとったもので、「芸術的あるいは知的好奇心を求める」「常に新しきを求める」ことを意味し、東洋の「龍」に理想を求め、洋の東西を問わず、龍のように時代という雲間を縦横無尽に飛び、常に革新を求め、読者の皆様に真の感動とよろこびを提供する出版に邁進してまいりました。

History 求龍堂の歴史

● 誕生から終戦まで
創始者は石原雅夫(創業者の義兄)。東京外国語大学で学んだフランス語と貿易会社での経験を活かし、フランスから油絵具を輸入。他画材も取り扱い、まだ新進であった梅原龍三郎、小林和作、中川一政といった後の大家や美術愛好家が、代々木初台に借りた店に自然と出入りするようになり、一種のサロンが築かれていった。
第一次対戦の勃発で渡欧が不可能になり、それ以前にヨーロッパで印象派、立体派、未来派、フォービスムなどに触れた洋行帰りの画家が日本画壇で注目をあびていた。雅夫は、藤島武二など留学から帰った画家から、画材、技法書などについて学び、日本の芸術界を啓蒙するためにこれらを広げたいという大志を抱く。これが「求龍堂スピリット」のはじまりである。

1923年、画家でもあった石原龍一(本名:足立隆一、現社長の祖父)が絵画の売買および美術書籍の出版を目的に東京都神田連雀町に創業。本格的に海外の原書から翻訳した本の出版を開始する。画材の輸入、絵画の販売、出版を3本柱として、求龍堂は信頼を得、芸術界とともに歩むことになる。
しかし、第二次世界大戦の終わり、政府による出版企業の企業整備令によって、出版社が統合され、求龍堂は一時、文藝春秋に統合されることになる。終戦後、文藝春秋社長の菊池寛によって解散宣言がなされ、統合は解かれる。
● 豪華本の求龍堂
疎開先の伊東で龍一は、青山二郎、魯山人、当時創元社の顧問をしていた小林秀雄と交流し、やきものなどの工芸に魅了される。
また、一方、龍一自身が渡欧し海外の芸術界に触れ、帰国後、株式会社として銀座の交詢社に社を移す。この頃、大手企業の美術カレンダーの制作や展覧会図録の制作を開始する。また銀座の文藝春秋の分室に求龍堂画廊を開設する。
その後、画集『梅原龍三郎』を出版、赤革装の豪華限定本がのちに完成。発起人・細川護立、武者小路実篤、藤山愛一郎、佐佐木茂作、志賀直哉によって東京会館で出版記念パーティーが開かれる。
その後、白洲正子に依頼した『能面』に並行して、一大事業『茶道名器鑑』の編集に入る。これらを皮切りに「豪華本の求龍堂」として、こんにちに至るまでさまざまに趣向を凝らした豪華本を生み出していくことになる。
● 翻訳本の成功
石原龍一に代わって子息・足立龍太郎が社長に就任。
時代はバブル景気を迎え、一切の妥協をゆるさない超高品質の作品集づくりを目指す。
その制作は画家との信頼関係における本画の売買や、作家監修のもとで制作されるオリジナルリトグラフ付き豪華本の制作販売などで支えられ。また当時は、企業メセナ活動の黎明期であり、牽引する一社であった化粧品事業の資生堂グループの文化発信を、伝統的な出版社の経験を活かして担うため企業提携を行った。
また海外文学、中でもヤングアダルトの翻訳出版に進出した最初の出版『十二番目の天使』は、94万部突破、その後も数々のヒット作を出している。

● 美術館との連携、図録兼書籍の時代
足立龍太郎が会長となった後、現役のチーフデザイナーである嶋裕隆が社長を引継ぎ、その後2012年6月、龍太郎の子息である現社長・足立欣也が就任した。
書店に流通する書籍と並行し展覧会図録の制作はつづけてきたが、次第に公立美術館での図録予算が厳しくなり、美術館と出版社が協力して図録制作を行う図録兼書籍の時代が来ていた。
入札により価格の安さが落札の決め手となる公立館の図録のなかで、制作技術への信頼性からの美術館や出品作家の要望も反映される図録兼書籍を多く受注するようになる。
なかでも国立新美術館『ミュシャ展』は、会期わずか3ヶ月の間で11万部を突破する販売となった。

求龍堂はまもなく創業100年を迎える。経てきたさまざまな時代で「求龍堂スピリット」を守りつづけ、今日も新たなる企画に挑んでいる。

Quality 求龍堂のクオリティー

現在も国内外の芸術家から作品集の制作出版の熱きご依頼が絶えることがありません。それが「求龍堂クオリティー」です。
● 編集
「作品あり文があり」いかに作家の魅力を伝えるか。美術書編集の伝統が長い間、先輩から後輩へと受け継がれてきました。実際の作品の印象をいかに本の中で表現できるか?編集者が作家の意向を印刷会社のプリンティング・ディレクターに通訳し、綿密な色校正の技術によって美しい印刷の本を仕上げてきました。

● デザイン
社内にデザイン工房部をもち、求龍堂らしい作品のスケール感をつたえる余白をいかしたデザインの美しさも評価されております。

Best sellers
求龍堂のベストセラー・ロングセラー

オグ・マンディーノ『十二番目の天使』94万2000部
アレックス・シアラー『青空のむこう』65万部
国立新美術館『ミュシャ展』11万5000部
フジコ・ヘミング『魂のピアニスト』7万5000部
志村ふくみ『一色一生』5万9000部
堀文子『堀文子の言葉 ひとりで生きる』3万7000部
石田徹也『石田徹也遺作集』3万7000部、熊谷守一『熊谷守一画文集 ひとりたのしむ』2万3500部、志村ふくみ『母なる色』1万8000部、国立新美術館『MIYAKE ISSEY展三宅一生の仕事』1万8000部、平塚市美術館他巡回『長谷川潾二郎画文集 静かな奇譚』1万7500部、諏訪敦『諏訪敦絵画作品集 どうせなにもみえない』1万4500部、植田正治『植田正治写真集 吹き抜ける風』1万4000部、東京藝術大学大学美術館、京都国立近代美術館『円山応挙から近代京都画壇へ』1万4000部、姫路市立美術館他巡回『酒井抱一と江戸琳派の全貌』1万3000部、小磯良平『小磯良平画文集 絵になる姿』1万2500部、草月会館、大阪市立東洋陶磁美術館『ルゥーシー・リィー 現代イギリス陶芸家』1万2000部、世田谷美術館他巡回『ブルーノ・ムナーリ』1万1500部、他

Artists 求龍堂の作家

作品集を発行した主たる作家

【画家】
梅原龍三郎、東山魁夷、熊谷守一、小磯良平、中川一政、片岡球子、上村松園、藤田嗣治、荻須高徳、浅井忠、山口薫、三岸節子、杉本健吉、千住博、武者小路実篤、中島千波、絹谷幸二、平松礼二、森本草介、堀文子、野田弘志、村山槐多、川端龍子、横山大観、円山応挙、狩野芳崖、酒井抱一、乾山

【文芸】
小説の川端康成、夏目漱石、丸山健二、角田光代、詩の谷川俊太郎、随筆の白洲正子、松岡正剛、若松英輔、ノンフィクションの梯久美子

【工芸・芸能】
舞の武原はん、能楽金剛流、歌舞伎の中村吉右衛門、染色の芹沢げ陝△い渦屬涼羸邱夫、染織の志村ふくみ

【デザイン】
三宅一生、ワダ・エミ、石岡瑛子、石井幹子、吉岡徳仁

【彫刻・版画】
イサム・ノグチ、浜田知明、佐藤玄々、澄川喜一、舟越保武、舟越桂、三沢厚彦

【写真】
植田正治、稲垣功一、十文字美信、坂田栄一郎、石内都、三好和義、山本一、稲葉なおと

【建築】
菊竹清訓、槇文彦、伊丹潤

【音楽】
ショパン、館野泉、フジコ・ヘミング

【海外】
マドレーヌ・ヴィオネ(仏・ファッションデザイナー)レニ・リーフェンシュタール(独・映画監督、写真家)ルゥーシー・リィー(英・陶芸家)チェッコ・ボナノッテ(伊・彫刻家)ウィリアム・モリス(英・デザイナー)ブルーノ・ムナーリ(伊・デザイナー)ミュシャ(チェコ・画家)ルネ・ラリック(仏・宝飾デザイナー)アレックス・シアラー/金原瑞人訳(英・小説家)


Monuments 求龍堂の金字塔

『茶道名器鑑』全6巻

『茶道美術全集』全15巻

『マリー・ローランサン・カタログレゾネ』(原書出版)

『世界ガラス美術全集』全6巻

『松岡正剛 千夜千冊』全8巻

Prize 求龍堂の受賞

求龍堂が刊行した書籍に数々の賞が与えられました。

詳細はこちら ≫

株式会社 求龍堂
  創業   1923年(大正12年4月)
  設立   1950年(昭和25年12月23日)
  所在地   〒102-0094 東京都千代田区紀尾井町3-23 文藝春秋新館1階
  アクセス ≫
  連絡先   代表 Tel:03-3239-3381 代表 Fax:03-3239-3376

  営業部 Tel:03-3239-3381
  制作部(編集、工房) Tel:03-3239-3382〜3
  美術部 Tel:03-3239-3381
  総務経理部 Tel:03-3239-3120
  営業品目   美術品・生活文化関連図書の出版、美術印刷物の企画製作、美術品売買
  免許   美術品商 東京都公安委員会許可第577号
  加入団体   日本書籍出版協会 ≫
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