Q ピアノを奏でている時、舘野さんはどんなふうに世界を感じているのでしょうか。
 僕の演奏を聴いていると、風景や情景が目に浮かぶとよく言われます。僕自身は、弾いている時に、特定の風景を想像したり、物語が浮かんだりということはありません。全部、ただ音の動きとして感じています。そこで感じているのは、音が生きているか、生きていないか。自分の出した音が生きて、聴衆にも届く音になっているかどうかということです。その生きた音を見つけ出すまでが結構かかります。

Q メジャーでない分野の曲もずっと取り上げていらして、すごいなと思います。どのようにして続けてこられたのですか。
 たとえばベートーベンなどは、ピアノを習っていた頃、前にやったのを忘れてしまって何度も同じ曲を勉強したことがありましたし、5番のコンチェルトはオーケストラで何十回と弾きましたが、あまり興味が持てません。モーツァルトなんかは大好きでも、とても自分では歯が立たないという感じがありました。技術的にはそんなに難しくない。でも自分では生きた音楽になっていない感じがあったんです。やっと弾けるようになったなと自分で感じだしたのは50歳を越してからだと思います。ショパンも、これなら人前で演奏できるなという曲は数曲です。 とても好きなのはセヴラックで、19歳のころに出会い、40何年か経って日本セヴラック協会というものを作ったほどです。
そういう意味では、いわゆる王道からちょっと外れた道を歩いてきた。逆に言えば好奇心をずっと持っていたから、いろいろな音楽を演奏してこられたのだと思います。

Q 将来両手で弾くことについてお考えになることはありますか。
 倒れるまでの40年間のレパートリーが一瞬にして弾けなくなっちゃって、いまでも弾けませんが、それが残念とは思いません。実際に演奏できなくても、自分がたくさんの音楽を弾いてきたことは、ちゃんと自分の身体の中、血の中にあるんです。左手で弾くことも、以前からやっていることとまったく同じことです。両手で弾くことが恋しいとは思わないし、不足や不満があるわけでもありません。十分満足しているのに加えて、作曲家たちがどんどん新しい、いい曲を書いてくれる。そうすると、また新しいことが出てきて、それを大きく広げていくと、また次のことができる。たとえばピアノソロの曲を書いてくれた人が、ほかの楽器と合わさった曲やコンチェルトを書いてくれる。今度は、以前岸田今日子さんとやっていたような、音楽と語りが合わさった曲があると面白いな、とかいろいろ楽しみがあるから、ありがたいことです。

Q 最後に、これからのご活動についてお願いします。
 僕はあまり計画というのを立てたことはないんです。何かを夢中でやっているとそれが膨らんでいって、そこで誰かが加わり、また膨らんで、どんどん発展して、大きくなっていく。いつでもそういうふうにして発展していくから、計画とか、何か意気込みだとかはないですね。ただ、自分で考えていることとしては、「舘野泉 左手の文庫」という募金活動を充実させていくことと、もうひとつ、左手のピアノコンクールをしたいと思っています。僕はコンクールというものが嫌いですが、この5年間ずっと左手の音楽をやってきて、出てきたことです。作品もいいものがたくさん出来てきました。障害を持っている人も、そうでない人も参加するようなコンクールにしたいなと思っています。


 内容より
≫ 旅での出会い
≫ ステージに立つまで
≫ 音楽の道は果てしなく…



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