Q 子供のときに好きだったものは何ですか。それは写真家の活動に何か影響を与えていますか。
 私はすごく貧しい、スラムみたいなところに住んでいたんですけれど、父が大学出だったんですね。その地域で大学出の両親というのはほとんど、うちの父しかいなくて、当然、私も大学に行くんだなと思っていたので、小学校のときに、絵描きになりたいなと思ったんですね。でも、高校を出るとだんだん、絵描きになるというのは完全な夢であることがわかってきて、なぜかというと、要するに、絵を描いてもお金にならない。生活ができないだろうと思ったわけね。それでもう完全に、もし美術大学に行くとしても、手に職をつけるための、デザイン科みたいなもので、手に職をつけようかなと思ってデザイン科に入ったんですね。

Q 石内さんが、いま写真以外に興味のあるものは何ですか。
 絹の着物がすごく好きで、いっぱいいただくんですね。いまのところ好きなものは、絹の着物を触っているのが好きです。何となく写真を焼いていたり、気分転換をするときは、古い着物をほぐします。絹を触っていると、気持ちがとてもゆったりします。 大学時代に織物をやっていたということもあるんですよ。ほんとにギッコン、バッタン織っていたの。成型といいますが、成型機にかけて、それが一番大変で、一本一本、ほんとに織り機に成型していくのね。織るのは簡単で、横糸を拾う。縦糸を織り機にかけるのがすごく難しいの。私は本格的に織物をやっていたので、織物の縦糸と横糸の感覚みたいなものがすごくよくわかっているの。やっぱり、広島で遺品たちに出合ったときに、あまりに絹の質がいいので本当にビックリしました。たぶん、私は普通の人より織物や布に関して、基本的な学習みたいなものができているから、やっぱり見るところが違うのね。布というのは立体なんですね。縦と横で空気が入っている。縦糸と横糸で織るわけだから、その空気感で、決して平面ではなく立体感みたいな感じのものが絹です。

Q お料理がお上手だとお聞きしています。どうしたら石内さんのお料理を食べられますか(笑)。
 アハハ。う〜ん、それは難しいな。実は、料理は小学校2年からやっています。うちは共稼ぎだったので、要するに料理はできないわけですよ、子供だから。そのとき、昔はコロッケが1個5円で、うちは100円置いていったのかな? 4人だったので、1個5円のコロッケを2つ買ってきて、お皿の上にちょこっと乗せただけが夕ごはんでした。だんだんそれじゃつまらなくなってきて、共同炊事場でしたけど、私が一番小さかったから、共同の炊事場に行くと近所のおばさんがいろいろ教えてくれて、まず、泥だらけのジャガイモが、皮を剥いて、切って、煮ると、泥だらけのジャガイモがこんなに変わる。そのプロセスがすごく面白かった。それから料理するのが楽しいというか、「料理って、こういうものか」という感じで……。

Q 旅は好きですか。好きだとしたら、どういうところが好きですか。
 旅は嫌いです。旅はほとんどしません。なぜかというと、観光というのができない。すごく悲しいけど、観光というのができないから、どこかに行って何かを見るということが苦手です。例えば、広島に行けなかったというのは、観光で広島に行くことができない。旅で広島に行くことはできないなという感じがあって……。ですから、いまは仕事でしかうちを出ません。

Q 横須賀との関わりについてご紹介いただけますか。
 私の写真の原点は、要するに横須賀というところから出発したわけで。そう思っていましたけれども、ふと考えると横須賀以前に写真を撮っていたわけです。それは、そこに配ってある大川美術館でいまやっています「上州の風にのって」というものですが、私の出発点はグループ展でした。そのグループのときに、何を撮っていいかわからなくて、とりあえず田舎に行って写真を撮っていたときのものを、いま展示しています。横須賀でデビューして、一応、私は横須賀ということになっていましたけれども、なんだろうな……、やっと横須賀から卒業します。それは半分冗談ですが、結局なぜかというと、原点というのはたくさんあって、1つじゃないんですね。いま群馬県で、2つの美術館で展示しているという意味においては、ルーツとか何とか、そういうことでもないですね。だって、ふるさとなんて私が選べないでしょう。横須賀だって選ばなかったわけだよね。それは親の関係で、たまたま群馬県で生まれて、横須賀で育っただけですけれども、それを私のものにしなきゃいけないみたいな、そういうことがあって写真と出会って、とりあえず横須賀から出発して、よく考えたら生まれは群馬県の桐生であったということで、それは偶然みたいなものです。

Q 石内さんが好きな芸術家、リスペクトするアーティストは誰ですか。
 いまのところ、一応写真家ということで言えば、やはりジョー・コフランズとロバート・フランクですね。ジョー・コフランズというのは3年ぐらい前に亡くなってしまいましたが、日本ではほとんど知られていません。とうとう一度も日本で個展をやらなかったし、平たく言うと60を過ぎてから、ニューヨークのアートフォーラムの編集長をやっていた方ですが、60を過ぎてから写真家になった人です。全部、白人の男、それも中年のどうしようもない、醜い体を、彼は自分をセルフ・ポートすることによって、すごく擬態化というか、擬人化というか、とにかく彼の写真を見たときはすごいショックを受けて、ぜひニューヨークに会いに行こうと思って、実際に行きましたけれども、2年ぐらい前に亡くなってしまいました。ロバート・フランクというのは、私の横須賀の関係です。彼は24歳のときにニューヨークに移って、ちょうど私が生まれた年にニューヨークに行っています。同い年で、いろいろなことでちょっと縁があるかなという感じで、今年も会いに行きました。

 内容より
≫ 個人的なこと
≫ 薔薇の写真について
≫ 写真表現について

≫ 「身体のゆくえ∞インフィニティー」について



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